出産記録②分娩台~出産
18:45 分娩台
子宮口は開きが遅いが陣痛が耐えられないほどに強くなってきたため、いよいよ
分娩台へ。左の手首に点された針が太くて血管に入らず、2回ほどブスブス点され
激痛でした点滴(泣)産後2週間以上経つけれど、未だに青あざ消えませんもん。
助産師さんも、連休で医師は非常勤だし看護士少ないし、経産婦だからむしろ手が
かかる(突然産まれちゃう説のため)割には微弱陣痛でお産がすすまないジレンマ
を感じているのか、ちょっと苛立っているような?
「和痛注射はいつ打てますか」「注射はー」「あの注射は~~」
痛い痛い言う私に助産師「でもまだ子宮口5㎝では、和痛注射できないのよ」と。
担当医の話では子宮口4cmで打つということだったのに~話が違うー!!でも確か
にこんなに陣痛の感覚が安定せず子宮口が開いていかないこれまでの経過を鑑みる
と、もう少し先なんだろうな、注射で緩和するタイミングは、と頭では理解、体は
悲鳴を上げているがもうお任せするしかないのだから、我慢するしかない、でも、
でもでも、痛いよ~~~!ぎゃおー!
おしっこがしたい・・・唐突に感じたのは19:30位だったろうか。でももうトイレ
が許される段階ではないことはわかっている・・助産師さんに訴えると導尿する
ことに。そのおしっこを取る管を入れる作業がまたまた・・
ぎえ~!痛い痛い!
思わず助産師さんの手を払いのけるの巻。助産師さんとうとう怒りだす。
「少しは我慢しなさい!」「あのねえ、出産ていうのは色々我慢が必要なんです」
3人目の出産とはいえー麻酔なしは初体験なんですー痛いんですー
「あちこち痛い~もうもう!イデデデデ!」
叫びすぎて喉がカラカラ、助産師さんに飴ちゃんを頼む。やることいっぱいの
助産師さんは頼んでからしばらく後に飴ちゃんを持って来てはくれたが、もう
その頃には口に何かを入れることが困難なくらい陣痛が強まっていた。
20:00 引き続き分娩台
陣痛は強まっているのに相変わらず子宮口6cmと言われた日にゃ、絶望的に
なるよね~(>_<) 「あの・・今日中に産まれますかね」「うーん、さすがに
0時を超えることは無いとは思うんだけど」と助産師さん。昼過ぎから始まった
陣痛、日付が変わってもなお続いたらもう体力が・・もたない・・(泣)
横を向いてみることに。右を下にして・・すると
ぎゃ~~~~!!! 凄まじい痛み、なんじゃこりゃ~!痛すぎる
ためすぐに向きを戻す(仰向けに)。子宮口7cmで「少しずつだけど確かに
開いてきているのよ」と励まされる。麻酔なしで7cmってのは未知の世界、
痛すぎる、悲惨すぎる、ソフロロジー式(この痛みは赤ちゃんと会えるための
よい痛み、ととらえる思考)なんてかけらも実践できない。「うーん、どうしま
しょうかね、注射いつでも出来るように準備はしてありますが」助産師さん、
悩むの巻。ヘルプミー!
20:50 分娩台にていよいよ和痛注射
ずいぶん頑張って痛みに耐えた甲斐あってこの頃子宮口「あ、〇〇さん、8cm
になりました、注射しましょう」はあああ!やっと注射だ~(T_T) それで
どれだけ楽になるんだろう?!立会いの夫に手を握って貰い、いざ和痛注射!
イデデ!ウ~ウ~!でも前回ほど痛みは感じなかったのは、陣痛がひどすぎる
からだわね、陣痛の波に合わせて打ってくださったものだからどこもかしこも
痛くて痛くて。
21:00 注射後の分娩台
大波の陣痛到来で悶絶。
全然痛みが緩和していないじゃないか~!
という私の気持ちがテレパシーしたのか助産師さん「もう少しで注射の効き目が
出てくると思うのでね~」ひょえー!それは次の波なのかその次の波でなのか!
うぎゃぎゃぎゃ・・・
この先はもう痛すぎて目を開けていられなくなりましたが、夫が言うには陣痛の
綺麗な波のお山が教科書のように監視装置の紙にプリントされていたそうです。
21:20 子宮口最大
「内診しますね~・・あ!〇〇さん産まれますよ!ご主人、良かったですね!!」
10cm開大で、助産師さん紙エプロンをそそくさと身にまとう。そろそろですか?
と当番医が入ってくる。そこから先も若干緩和されたような?という程度の効き
目しかなく、死ぬほど、いや、死ぬより痛いのかもしれない激痛と戦う私。
助産師さんは時折私の会陰に指を入れて皮膚を伸ばしてくれなるべく切開せずに
産めるようにしてくれていた。とても変な感触だった・・
「産まれますよ」という希望の言葉を聞いたあと、ずいぶん経つのにちっとも
いきむタイミングがやってこないな~と思いながら15分ほど、いきなり変な音
が聞こえてきた。地響きのような。それは程無くして自分の声だとわかった。
ウ゛~~~ 今までに聞いたことのないような唸り声。。怖い。。でも
母としての野生の声なんだろうね。いきみたくなると出てくるので、その声が
してきたらいきむことに。
前回次男の時は、無痛+和痛で余裕のクライマックスだったのに、今回はもう
全然上手にいきめなくて、助産師さんが会陰を引き延ばしながら今いきんでとか
深呼吸!とか、前かがみでとか一から手引きしてくれてやっとこさという感じ。
「ほら、頭が出てきたから赤ちゃんを見て!」と言われるまで自分が目をつぶっ
ていることにすら気づかないという。目をつぶっちゃうと顔にばかり力が入って
うまくいきめないのです。ようやくタイミングが合い頭が出ても肩が出てこない
なんて想定外のことも(これはのちに知らされた「臍帯巻絡(頚部一重)」が
原因だったのかな?)ありややパニックに。それほどもう私自身の肉体的限界が
迫っていたのでしょうね、、「胸に手を当てて短い呼吸してハッハッハって!」
と言われてその通りにすると今度は「もうちょっといきんで」と言われ、3回目
の出産だというのに自力で何もできない自分を実感。
21:50 出産
全て経験豊富な助産師さん指揮のもと、最後の力を振り絞って、聞いたことのな
い唸り声を絞り出して、とうとう産声を上げました。夫が感動していました。私
はカラカラの声で誕生を喜びました。お腹に撥水加工の紙を敷かれその上に乗せ
て貰った我が子は温かかった >^_^< 出てくるときに何かを吸いこんだようで
吸引されてから連れて行かれました。残念ながらカンガルーケアの写真は撮れず
(多分連休の夜間で人手不足が原因)綺麗に拭かれて、ナースステーションにて
助産師さんが抱っこしている写真を夫が急いで撮った模様。「一緒に写真撮れま
すよ」って言ってたのに~助産師さーん(T_T) その頃私は朦朧としながら当番
医が胎盤を出したり(激痛!)出血が一服した後、自然に裂傷してしまった会陰
を縫合したりする姿を眺めていました。前回の理事長の時より丁寧で確実な印象
で良かった。
その後1時間半ほど様子見のため横になっている間も、大潮で満月の前日の夜
だというのに誰も来なかったので、静かなものでした・・・しみじみとする私。
つわり期に妊娠糖尿病が判明してからカロリー制限、切迫気味のため安静生活、
時々出てくる予期不安や不眠・・トラブルがいっぱいで年齢的にも体力の限界
で、色々あったな、そして結局無痛が出来ず頑張って和痛で乗り切ったな、と
感慨深く、大いなる達成感が湧いてきて、幸せいっぱいの夜でした。
出産当日の夜って、胎児の心音が頭の中で一晩中こだまして眠れないんです、
残像ならぬ残音??眠れない夜、私が病室に戻った後は続々妊婦さんが来院し
たそうで、朝の助産師さんはくたびれ果てておられました^^;
おそるべし!大潮へいはちろうの乱!←夫のギャグ