流産のこと(手術)

 

繋留流産がはっきり告げられたその診察で、手術日を翌日に決めてしまった私。

その事後報告を夫に電話で告げると「行きは送るけど帰りはタクシーで一人で

帰ってくれる?」と夫。その旨、日赤の看護士さんに伝えると、呆れられ

全身麻酔ですよ!?一人で帰れるような状況じゃありません、ご主人なんとか

できませんか!』と怒られ・・・。

勝手にサクサク決めた手前、夫の仕事を優先させたい気持ちもあったけど

情緒が不安定で、頭と心はバラバラで。再度電話で帰りまで付き添ってほしいと

お願いし、しぶしぶ承諾を得た。

 

12月12日、10W3D、手術日当日の朝9時開始。

医師から手術の説明を受け、同意書への署名、仕事が気になる夫はなんとなく

傍観者の雰囲気。それに部屋にはパソコンを持ち込んでいる・・・

妻は不安でいっぱいで、見守ってほしい、寄り添ってほしい、話し相手になって

ほしいと思っているのになぜぞんなに無神経で無関心なの?

 

術前に行われた子宮口を開く処置は大変痛くて、看護士さんの手を握りながら

悶絶しました。部屋に戻り時間をかけて子宮口を開いている間もお腹は刺激で

ズキズキ、でも夫はパソコンカチャカチャ。

夫への不信感が大きく広がりました。

 

時間が経過し、手術の時刻となりました。

「麻酔始めますよ、すぐに終わりますからね」と言われた10秒後には

気を失い、気づいたら「はい、もう終わりましたよ」と言われました。

手術自体は全く何の痛みも苦痛もなく、不思議なほどあっけなく済みました。

左手をぎゅっと握ってくれていた看護士さんのぬくもりはほのかに残っており。

20分程で終わったようでした。

 

朦朧とするけれども手術台から車いすに移動、車いすから布団に移動は

自分で出来ました。それからしばらく、半分寝ていて半分起きているような

奇妙な感覚の時間が流れました。看護士さんが入室してきて「まだ目を覚まされ

ませんか」と夫に聞くとパソコンに夢中で妻の様子などほとんど見ておらぬ夫

「はい、そうですね」。朦朧の中に怒りの火の玉がボボボ!とつきました。

 

意識がはっきりしてくると、怒りと悲しみの渦が私を巻き込んで、夫に

ぶつけました。「なんでこんなときにパソコン見てるんだ!」泣きわめきました。

動揺する夫は「泣くなよ」と言いました。精神状態がめちゃくちゃになり

呼吸困難に陥りナースコールを押しました。看護士さんは状況を見てビックリ

して、「もう少し私が配慮すればよかったですね」と宥めて下さいました。

「こんな男もう部屋から出て行け!」となりました。

 

看護士さん2人がかりで話を聞いてくれました。手術室は分娩室とも隣り合い

新しい命の誕生に院内はバタバタ、一方、たった今子どもを失った私は

手術も終わったし落ち着いたら帰宅ですよ、という状況でした。そんな中でも

親身になって看護士さんが話を聞いてくれたこと今もに感謝の思いが一杯です。

 

・まず前日「帰りはタクシーで」と、二人の子の事なのに他人事だったこと

・当日もPC片手に軽い気持ちで付き添っていたこと

・悲しみで一杯なのに「泣くな」と言われること

 

これが

 

・仕事よりまずは妻の身を案じてくれたら

・PCなんて持ち込まず、一緒に戦ってくれたなら

・今日は好きなだけ泣きなよという包容力があったなら

 

泣きじゃくりながら看護士さんに聞いてもらいました。残念ながら結構な割合

病室にPC持ち込む夫っているそうです。3回目の妊娠と言うことで、今回

1度も健診には立ち会っていないことを告げると、赤ちゃんへの愛情はまだ

はぐくまれてはおらずどこか他人事な部分があるのかもしれないね、とも言われ

ました。夫の気持ちは随分遠くに感じて顔を見るのも嫌になりました。

が、一通り落ち着くと空腹を感じました。看護士さんが部屋の外で待つ夫に

買い物を依頼しました。ずいぶん時間が経ったあと、コンビニで買ったサンド

イッチやプリンの入った買い物袋とともに入ってきて言うには

「ご主人、とても心配されている様子ですよ」と。

でも一度嫌悪で一杯になった私の気持ちは、そうやすやすと許す気にはなれません

でした。

激しい感情の起伏が一服し、すっかり日の暮れた19時頃、車まで看護士さん

たちに付き添ってもらい、夫と一緒の車に乗りたくない!という気持ちから

家に着くまで(着いてからもですが)夫を1度も見ず看護士さんだけを見ながら

日赤を後にしました。家に帰るまでの車内、無言です。

 

離婚かもしれない、そう思った夜でした。