流産のこと(妊娠~流産とわかるまで)

流産の手術をして1年が経ちました。

去年の今頃は、1年後に妊婦である自分を全く想像できなかったな。

 

2013年11月6日、検査薬で陽性反応を確認し、その3日後産婦人科受診。

5W5Dで胎嚢のみ確認、その後8W3Dで受診するも胎嚢のみ。

この日から主治医が院長ではなくおじいちゃん先生に変わったので、

この時に気づくべきでしたが・・私は流産なんて少しも考えていなかった。

(人気ながらも小さな個人産院であるため、何か難があれば地域の大病院へ紹介、

流産などの出産の見込みのない妊婦は半分引退しているおじいちゃん先生に回す

というのがここの産院の方式だったのですね。)

 

「次こそは見えるよね」という気持ちのみで臨んだ10W1Dの受診で

『今回は難しいかもしれないですね』と言われて頭が真っ白に・・・

「難しいってどういう意味ですか!?」

『小さいお子さん2人の面倒を見ながらなかなか体も休められないでしょうしね』

「・・・」

『しばらくすると出血して出てきますからね』

「流産ってことですか!?」

パニックになりました、まさか自分の身に流産という出来事が起こるなんて!?

 

現代女性は一人6回妊娠したら1回は流産する、という確率だそうで、それは

かなり高確率だと感じますが、まさか自分だけは、と思っていたんですね。

 

放心した私に看護士さんが「出血がなくても何かあったら来てくださいね」と

優しい言葉をかけてきたのをきっかけに、ぶわーっと目の中が熱くなって

ドアを開けると、先ほどまでとは別世界に思える妊婦だらけの待合室があって。

でも泣きながら出るなんてしたくない、まぶたをバシバシして平静を装う自分が

いました。

過去に経験したものよりは確かに軽かったものの悪阻はあったわけで。悪阻が

あるうちは大丈夫って読んだし。まさか。おじいちゃんだから胎嚢の中の赤ちゃん

見つけられないだけじゃないの。と思っても、本能がわかっている、途中で育た

なくなったのだということ。

 

翌朝1番で、日赤を受診、そこで医師にはっきり告げられた「繋留流産」。

『難しいかもしれませんね』なんて言われるよりよほど良かった、正式な診断。

その場で手術日を翌日に決め夫に立会いを電話で依頼。

私の頭にあるのは「早くしないと次の妊娠が出来ない」ということだけだった。

35歳で第二子を出産し、もう子供は2人いて充分幸せ、と思っていたのが

37歳になる頃、でももう一人産むならもうあと1~2年かなあ?(分娩希望の

産院の引き受け年齢上限が40歳と言われたので)と考え始めたら途端に

やっぱり欲しい、タイムリミットがあるなら期限決めて挑戦してみたい、可愛い子が

もう一人いる5人家族になってみたい、となり妊活がスタートした私です。

 

夫は、流産とわかってその場で手術を決めた妻の心は、心配するほどショックは

受けていないのだな、と、そう思ったようでした。それに大した手術ではない

とも思ったようで「行きは送るけど帰りはタクシーで帰れる?大事なアポが

あるんだ」と言っていました。